”信じている”とも”信じてない”ともはっきりいえる人は少ない。
なぜならその神に対して私達は知らないことが多すぎるからだ。
自分の存在に疑いがないように、この世界も間違いなく存在している。
神というのは、どこかに座っているあの人ではなく、この世界そのもの。
この世界とは、調和であり、秩序である。
これは、“理解されるべき”哲学であり、“信じる”“信じない”の問題でもない。抽象的な教義や、不確かな考えでもない。
“信じない人” はもしかしたら“信じる人”より人生について考えている人かもしれない。
しかし彼らは、何かの理由で“信じない”ことに決めたのだ。
調和や秩序に基づいてこの宇宙すべてが絶妙なバランスを保ちつつ存在しているのなら、私達の命や生き方も、その秩序の中にある。
それを知るのは意外と難しくない。
私達にとって身近で、とても明らかだからだ。
地球は太陽の周りを回っているし、ジョークがツボに入れば笑いが起きる。
沢山雨が降れば緑が生い茂るし、富士山に登れば空気が薄くて頭痛がする。
そして、私達日本人は、木の葉っぱ一枚にも神様が命という形で宿っているということを知っている。
もし、神様とは「天国という死んだ先で待っている人」だと言われたら、納得するのに時間がかかるかもしれないし、納得出来ないかもしれない。
しかし、私達が言う「神」は、真実、リアリティであって、盲目的な信仰とか宗教ではないのだ。
ちょっとオープンな考え方の出来る人なら、簡単に理解できるし、神に対して感謝に満ちた毎日を送ることができるのである。
写真はバガヴァット・ギーターのワンシーン。
クリシュナはアルジュナに、この宇宙の創造の全てを一瞬にして見せた。>
目のくらむような美しいもの。目を背けたくなるようなおぞましいもの。天国、地獄。地球以外の世界。過去も現在も未来も。アルジュナは、それを見た時、怖く なった。それは、そのクリシュナが表した宇宙の全てに自分の存在を含めていなかったからだ。このストーリーには、自分と世界を分けてしまうことが、心に恐 れを生む、という哲学的な意味が込められている。