Tuesday, October 15, 2013

知識の女神様、サラスワティのプージャ


13日は女神サラスワティのプージャが行われました。

9日間にわたって行われたナヴァラートリ、3人の女神様(ドゥルガー、ラクシュミ、サラスワティ)を祀るお祭りの最終日です。

サラスワティは知識を象徴する女神様。

知識が形となったものである「本」を神棚に供え、プージャが行われました。

写真の後ろに山積みになって布がかけられているは私達の大切な本達です!

サラスワティはどんな女神様?


サラスワティは白いサリーをまとっています。

白い蓮の花の上に佇み、そばには白鳥がいます。

サラスワティについては教育の母として、ヴェーダーンタ入門でも触れています。
4-1. ブラフマチャーリ アーシュラマ - ब्रह्मचारि आश्रम

白はすべての色から自由な色。

それは、「知識」を象徴しています。

こんな時ありませんか?


新聞や本を読んでいるとき、頭にスーッと入ってくる。

今まで解けなかった問題が急にクリアになった。

人の話を集中して聞くことができた。
自分の考えがうまく伝えられた。
ひらめいた!

そんな時、知識の女神であるサラスワティの存在があります。

サラスワティは、インドの占星術ジョーティシュでは、第2室の守護神でもあります。

2室は、ワーク スターナ。スピーチ、言葉の室です。

ヴェーダの聖典では、良い言葉を話すことは、タパスとして人びとが練習すべきこととされています。

その言葉を口から出すかどうか、OKを出すのは自分自身。

真実を話す。
わかりやすく話す。
聞く人にとって心地よい言葉を話す。
意味のあることを話す。

良い言葉を話すことはサラスワティへのワーシップ(崇拝)につながります。


人を成熟に導くことが出来るのは、お金でも名声でもなく、知識のみ。

私達にはサラスワティの祝福が必要なのです。




Sunday, October 13, 2013

ただいま帰国の準備中



ダヤーナンダ スワミジの元でヴェーダーンタ、サンスクリットを学ぶ3年のコースも後残すところ2週間です。

先週、ヴェーダーンタの勉強の上でもっとも重要とされるブラフマスートラのテキストが終わりました。

残すのはバガヴァット・ギーターの最後の章、18章のみ。18章は、72節からなる大きな章でありギーターの総まとめでもあります。そのためシャンカラ アーチャーリアが綿密なコメンタリーを残しており、時間が限られた今、夕食後のサットサンの眠〜い時間までを使って追い込んでおります。

先週、個人的にスワミジとお話する機会がありました。

コースが終わった後、高校生時代まで過ごした福島の郡山市に帰るか、東京に帰るか考えていました。 郡山の私の育った家は、広いリビングルームがあり、ヨガやヴェーダーンタの教室などが、すぐに始められます。その反面で、友達や知り合いも殆どおらず、放射能の心配もあります。

高校卒業後は、東京で生活していましたので、親しい親戚や友達もおります。しかし、仕事をしながら家賃を払わなければなりません。当たり前ですが。。。。当たり前ですが、最後に職場を離れて丸5年。そのうちインドの山奥のアシュラムにこもること3年。私にとって日本は既に地球の裏側のジャングルのような未知の世界。果たして私は生き延びていけるのか?と、思うのです。

スワミジは「東京か、近くの人口の多い都市に行きなさい。生活のためのお金を稼ぐためにヨーガ関連か、そうじゃなくても、仕事もたくさんあるはずだし、きっと、ヴェーダーンタを習いたい人もたくさんいるから、教えるチャンスにも恵まれる。よく頑張ったね!ついに、コースも終わりだね!」と笑顔でおっしゃいました。

やさしい。。。

お陰で、東京で頑張って行く覚悟が出来ましたよ。

どうやって、始めていこうかな。

いろんな人に会って、たくさんの助けやアドバイスをもらいながら、少しずつヴェーダーンタやサンスクリット、ここで習ったことを伝える機会を作っていこう。

このブログを書いていることも、まだ誰にも言っていないから少しずつ広めていかないと。


一昨日、荷物をダンボールにまとめ始めました。

いよいよだなぁ。。。。






Sunday, October 6, 2013

客観的に物事を見る練習


自分の家族、友達、同僚、自分を取り囲む人びとは、自分自身ではないにもかかわらず心の中で大な存在を占めています。

メールしたのに返事をくれない。
嫌味っぽかった。
今日は、目も合わせてくれなかった。
他の人とは楽しそうに話しているのに!
せっかく、あなたのために予定をあけておいたのに!

相手が自分の思うような反応をしてくれないと、彼、彼女は自分の心の内側に長いこと滞在し続けます。

彼らは自分以外の存在にもかかわらず、今や自分の心の深い深い所にじーーっと座っています。

そんな自分に疲れます!

自分の外側にいる人たちを、そのまま外側においておいてあげる。

そうすることでより、自分を少し自由にしてあげられます。

どうやって?

自分がスペースを持っているのと同じように、彼らのもつスペースがあります。

彼らには彼らのスペースを与えてあげましょう。

どうやって?

私と目があった時、彼は私から目を逸らした“ように見えた。”

でも、自分がそう思ったのは間違いだったかもしれない。

彼が自分の事を全て知らないように、自分も彼の事を全て知りません。

なので自分の解釈は、必ず「部分的には」間違っているということになります。

大事なのは決して、「あの人は、こういう人だ。」と、結論づけてしまわないこと


「今、私の目には彼はこのように映った。」

「そう見えたけど、でも、違うかもしれない。」

これが、客観的に物事を見るということ。

私達は、自分の作り上げた狭い世界で生きてしまいがちです。

客観的になることで、より「全体」を見ることが出来るようになります。






photo credit: michibanban via photopin cc

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