Tuesday, March 11, 2014
Wednesday, March 5, 2014
★バガヴァット・ギーター第3章17節
バガヴァット・ギーター第3章の前半で、クリシュナは、この宇宙のサイクルをチャクラ(輪、車輪のように回り続けるもの)。そして私達のカルマをそのチャクラを動かし続ける原動力として、ヤグニャ(火の儀式)に例えています。
バガヴァット・ギーターの中で、自分の感覚を満たし喜ばせる為に、何かを手に入れようと追い求める人を非難していることがしばしあります。そこには、私達のすべきことに集中し、注意をむけなさいという意味が込められています。
もし、今やるべきことがあるのに、それをしなくてもいいと感じたとします。しかし、人々が義務を放棄すれば、世界の調和や秩序がうまく回らなくなっていくでしょう。自然界に存在するもの全てが役割を持っています。その中でも人間は、この宇宙の生態系を構成する一員であり、中心的な存在です。自分からこの生態系が始まっており、中心となっているということを理解した時に、他者における繊細さや理解が生まれます。
ここまでの話を踏まえて、バガヴァーン クリシュナは言いました。
感覚的な悦びを求める人と反対に、自分自身の存在が喜びそのものである人は、つまり、自分自身に満たされている人は自分自身を追い求める。彼にとって「しなければならない事」など何もない。
シャンカラはこのシュローカに対し、このようにコメントしています。
自分自身(アートマ)をサムサーリ(小さい自分、悲しみや好き嫌いなどに侵されている自分)として見ている人は、自己の存在のみで満たされることはありません。
体験者 भोगी (ボーギー bhogī) は外の世界を操作しよう躍起になっています。ヨーギーはマインドをコントロールしようとします。彼らの問題点は、「こうなりたい」とあれこれ変えようとしてしまうこと。それは終わりのない旅となってしまいます。
人々は、自分と取り囲む環境が理想的であった時だけ、一時の喜びを味わいます。反対にニャーニは環境にかかわらず、自分自身の存在のみで幸せです。
体験者ボーギーが、新たな幸せを手に入れようとして常に走り回っている。そして行動者 कर्ता (カルター kartā)となります。その反面、彼自身をカルター "doer"として見ていないのが、ニャーニです。
バガヴァット・ギーターの中で、自分の感覚を満たし喜ばせる為に、何かを手に入れようと追い求める人を非難していることがしばしあります。そこには、私達のすべきことに集中し、注意をむけなさいという意味が込められています。
もし、今やるべきことがあるのに、それをしなくてもいいと感じたとします。しかし、人々が義務を放棄すれば、世界の調和や秩序がうまく回らなくなっていくでしょう。自然界に存在するもの全てが役割を持っています。その中でも人間は、この宇宙の生態系を構成する一員であり、中心的な存在です。自分からこの生態系が始まっており、中心となっているということを理解した時に、他者における繊細さや理解が生まれます。
ここまでの話を踏まえて、バガヴァーン クリシュナは言いました。
यस्त्वात्मरतिरेव स्यात् आत्मतृप्तश्र्च मानवः |
आत्मन्यवे च सन्तुष्ट: तस्य कार्यं न विद्यते || १७ ||
yastvātmaratireva syādātmatrptaśca mānavah
ātmanyeva ca santustastasya kāryam na vidyate || 17 ||
Whereas, for a person delighted in the self, who is satisfied with the self, contended in the self alone, (for him) there is nothing to be done.
感覚的な悦びを求める人と反対に、自分自身の存在が喜びそのものである人は、つまり、自分自身に満たされている人は自分自身を追い求める。彼にとって「しなければならない事」など何もない。
シャンカラはこのシュローカに対し、このようにコメントしています。
喜びに満ち溢れている人、その人こそが“全てを放棄した人”。その人は自分の舌を喜ばせてあげるような小さな人ではありません。殆どの人は、自分を満たすために外面的な何かを求め、手に入れたがります。全てを放棄した人は、自己のみで満たされています。その人達をニャーニといい、彼らは何かを手に入れるために、しなければならないことなどありません。
自分自身(アートマ)をサムサーリ(小さい自分、悲しみや好き嫌いなどに侵されている自分)として見ている人は、自己の存在のみで満たされることはありません。
体験者 भोगी (ボーギー bhogī) は外の世界を操作しよう躍起になっています。ヨーギーはマインドをコントロールしようとします。彼らの問題点は、「こうなりたい」とあれこれ変えようとしてしまうこと。それは終わりのない旅となってしまいます。
人々は、自分と取り囲む環境が理想的であった時だけ、一時の喜びを味わいます。反対にニャーニは環境にかかわらず、自分自身の存在のみで幸せです。
体験者ボーギーが、新たな幸せを手に入れようとして常に走り回っている。そして行動者 कर्ता (カルター kartā)となります。その反面、彼自身をカルター "doer"として見ていないのが、ニャーニです。
【サンスクリットで言ってみよう!】シヴァナンダヨーガ・12の基本アーサナの名前
インドで一緒に勉強していた友人によるサンスクリットレッスン。
アーサナの名前をサンスクリットで言ってみよう!
アーサナの名前をサンスクリットで言ってみよう!
とても素敵な先生です!ドバイへ行った時はぜひ訪ねてみてください!
Sunday, March 2, 2014
【カルマの法則】全ては運命によって決められているのか?それとも自由意志はあるのか?
プラーラブダカルマ ( प्रारब्धकर्म prārabdhakarma ) それは私達の運命。
運命とは、過去の行いが結果となって、一刻一刻と展開されていくもの。
インドの占星術で自分のチャートを見てもらえば、そこにはある程度の運命が書かれていて、過去については、まあまあ細かいところまで当てられる。
チャートの星の位置が、私の今生のカルマを表しちゃっている。。
う、、、直視できない。。
あんなこともこんなことも、、起こるべくして起こったということか。。
これから先起こることもだいたい決まっているなら、、流れに身を任すしかないのね。
ダイエットが明日からになっちゃうのも、、運命なのかしら。。
って、そんなことあるかい。
そう、人生とは、運命+自由意志。
私達にはどうすることも出来ないことも沢山ある。
しかし、起こったことに対してどのように対応していくか、それは私達の自由意志によって選択することが可能だ。
つまり、全てではないけれど、選べることもある。
そして、それで十分なのだ。
自分の両親、生まれた国や時代などは変えられないけど、自分がどんな人でありたいか、どのようにしたいのかは決められる。
自分の今日の運命は、過去の私の自由意志によるもの。
運命とは、気ままなものではないのだ。
より良い未来の為に、私達は賢く、選択をしていく力を使わなければ!
photo credit: Pandiyan via photopin cc
運命とは、過去の行いが結果となって、一刻一刻と展開されていくもの。
インドの占星術で自分のチャートを見てもらえば、そこにはある程度の運命が書かれていて、過去については、まあまあ細かいところまで当てられる。
チャートの星の位置が、私の今生のカルマを表しちゃっている。。
う、、、直視できない。。
あんなこともこんなことも、、起こるべくして起こったということか。。
これから先起こることもだいたい決まっているなら、、流れに身を任すしかないのね。
ダイエットが明日からになっちゃうのも、、運命なのかしら。。
って、そんなことあるかい。
そう、人生とは、運命+自由意志。
私達にはどうすることも出来ないことも沢山ある。
しかし、起こったことに対してどのように対応していくか、それは私達の自由意志によって選択することが可能だ。
つまり、全てではないけれど、選べることもある。
そして、それで十分なのだ。
自分の両親、生まれた国や時代などは変えられないけど、自分がどんな人でありたいか、どのようにしたいのかは決められる。
自分の今日の運命は、過去の私の自由意志によるもの。
運命とは、気ままなものではないのだ。
より良い未来の為に、私達は賢く、選択をしていく力を使わなければ!
photo credit: Pandiyan via photopin cc
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