Saturday, July 6, 2013

バガヴァッド・ギーターの教え 5 -私が欲しいと思っている「あれ」は本当に私を幸せにしてくれるのか?

私が「これが欲しい!」と思うとき。


本当に欲しいのは、その“モノ”自体ではありません。

「これがほしい!これがあったらきっと。。」と、手に入れたあとの自分を想像しているでしょう。その想像のなかの自分は、今の自分+α。その“+αな自分”が欲しいのです。それは今の私に満足していないからではありませんか?

今欲しい物を頭に浮かべてみてください。

女性だったら最近話題のキッチン用品かもしれないし、アジアンリゾートへの旅行かも知れない。恋人かもしれないし、仕事場での人間関係からの自由かもしれない。

男性だったら会社での地位かもしれないし、車かもしれない。
ぽっちゃりしてきたお腹を見て、健康が気になるかもしれない。

私たちの欲望は星の数ほどあるけれど、それは単なる表面的な違いだけ。よくよくみてみると、たった二つのパターンに分けることができます。

  • 幸せな気分になるために今の私に足りないものを補いたい。
  • これがあるから私は不満!望まないものを自分から切り離したい。

サンスクリットではそれぞれ、プラヴルッティ-प्रवृत्ति、ニヴルッティ-निवृत्तिと言います。これらは私達が快適さを得るために日々行なっていること。

欲望は形を変えて私の中に次々と浮かび上がってきます。

その時欲しかったものでも、しばらくすると欲しくなくなったり、もういらない!とさえ思うかもしれません。

飛行機に乗れば待ち遠しいご飯の時間、自分の番がなかなか来なくて何度も振り返ります。でもお腹がいっぱいになった途端、この狭い空間で目の前のスペースを占領する散らかった空のプレートを一刻も早く下げてほしいと思うでしょう。あんなに待ち遠しかった恋人からの電話も、毎晩深夜にかかってきたら迷惑でしかないでしょう。

欲しくて追い求めてたのに今度はそれから自由になりたい。私たちは一体何を求めてるのか、もはや分かりませんね。

マッサージチェアを12回払いで買ったって、本当のリラックスはありません。


インドには出家される方がたくさんいらっしゃいます。彼らの中には、腰布一枚で木の下に座り、空を眺めているような人もいます。とても穏やかで、リラックスしています。特に何かほしいものがあるわけでもないし、彼の少しの持ち物さえも人に分け与える心を持っています。お腹をすかせた犬が通りかかったら、自分のご飯をわけてあげます。彼らを見て思います。あ、何も持っていなくても幸せなんだ。。自分を守ってくれる社会や家族、家などがなくても。

彼はすでに満たされているので、何かを手に入れる必要がありません。その反対に現代社会に生きる私たちはたくさんのものを持ち、ガッチリと守りを固めているにも関わらず、何か不安で、まるで物乞いのようにあれもこれもと求め続けています。一体どちらが幸せなのでしょう?

バスを利用していたときは、予定通りに来ないバスにイライラしたり、乗り遅れたり。。タッチの差で乗れなかったバスを見送りながら、車があったら“もうちょっと”便利だろうな。と車を買えば、駐車場がないと探しまわり、メンテナンスやローンに追われたり。

快適になろうとして手に入れたものに今度は縛られてしまう生活。私たちの暮らしは完全に満たされることがないまま、永遠にプラヴルッティ、ニヴルッティを繰り返して行くのです。

“満たされている”とは、何も足したり引いたりする必要がないということ。


それがどこにいてもどんな状況でも、自分の家にいるようにリラックスするために知らなければならないこと。今の自分を“何か欠けている存在”だと思ってしまっていたら、自分以外の者に頼るしかなくなってしまうからです。どうやって乗り越えればいいのかを知ることがないと、自分から逃げてしまうしかなくなってしまいます。悲しみを紛らわすためにお酒を飲みすぎたり、現実に向き合うことが出来ずにアニメの世界に没頭してしまったり。一時しのぎにはなっても、逃げることが解決になることは決してありません。

私はこれを“持ってる”とか“持ってない”とかじゃなくて。


人生は常に足りない部分を満たさなければという緊張感にさらされています。

「あの人はお金もあるし綺麗な家もある。素敵な家族もあって幸せそうだ。」と思うかもしれません。なぜならあなたは、その人の持っているものにある程度の価値を見出しているからです。でもそれは外から見た話で、実際に持っているものだけで幸せを計ることはできません。あなたと彼らの違いはたった一つ、“持っている”か“持っていない”かだけ。

ふかふかのベッドが、ある人にとっては深い眠りをもたらすのに対し、ある人にとっては腰痛の原因になってしまうように、“持っている”ことが誰にとっても快適さをもたらすものではありません。

毎日の生活のなかで、幸せを求めていく。より幸せになるために変わりたいと思う。それが人びとの共通の願いです。

その願いを叶えるのが、私たちの人生の目的。誰一人として無関心でいることはできません。特に、人生の中で大きな出来事があった時、人は急に我に返ることがあります。

例えば何か大切なものを失った時。それを取り返すことができるなら、この世のすべてを失ってもいいとさえ思います。

「私が手に入れたいと思っていたものたち、手放したくないと思っていたものたちは、本当に欲しいものじゃない。私を守ってくれると信じていたものは、なんの助けにもならない。なんて頼りないものだったんだろう。」

そして私を取り囲んでいるものたちの価値が見いだせなくなった時、「心の底からくつろぎたい。どうしたらいいの?」と、人生の本当の目的を探し始めます。

その時から人生は目的に満ちたものとなるのです。



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